活躍する同窓生 第5回 原田陽子さん
活躍する同窓生 第5回 原田陽子さんです
原田陽子さんのプロフィール
1962年 | 兵庫県西宮市生まれ |
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1985年 | 神戸海星女子学院大学文学部フランス文学科卒業 (在学中に銅版画を始める) |
1988年 | ジェラール・グイノ神父著「目をさましていなさい!マルコ」の挿絵 |
1989年 | ジェラール・グイノ神父著「神への道にまかれた小石」の挿絵 |
2000年 | 神戸「ギャラリーBouquet de Joie」初個展 |
2001年 | 東京銀座「教文館エインカレム」個展 |
2002年 | 日本聖書協会 聖句選集の挿絵「ペンテコステ」「復活」 埼玉カトリック北浦和教会「十字架の道行」コンサート絵画担当 |
2003年 | 東京四谷 聖イグナチオ教会「十字架の道行」コンサート絵画担当 |
2004年 | 東京銀座「教文館エインカレム」個展 神戸「ギャラリーBouquet de Joie」個展 クリスマスポスター(カトリック中央協議会) |
2005年 | 教文館創業120周年しおり |
2006年 | 東京銀座「教文館エインカレム」個展 神戸「ギャラリーBouquet de Joie」個展 |
2007年 | 「キリスト教祈祷一致週間」「殉職者を想い、ともに祈る週間」 ポスター、冊子の原画(カトリック中央協議会) 「キリスト教シンボル・デザイン事典」(教文館)カバー画 |
2008年 | 「キリスト教祈祷一致週間」ポスター冊子の原画(カトリック中央協議会) 東京銀座「教文館エインカレム」個展(2月) 神戸「ギャラリーBouquet de Joie」個展(6月) 「列福をひかえ、ともに祈る7週間」ペトロ岐部と187殉教者 ポスターと冊子の原画(カトリック中央協議会) |
2009年 | 「キリスト教祈祷一致週間」ポスター、冊子の原画 |
2010年 | 「キリスト教祈祷一致週間」ポスター、冊子の原画 「モーセ・出エジプトと荒れ野での神の恵み」出版(教文館) |
2011年 | 神戸バイブルハウス個展 埼玉県川口総合文化センター・リリアホール オルガン組曲「ヨブ」絵画担当 こじか誌(オリエンス宗教研究発行)掲載「天の国のひみつ」 その他 1988年~グループ展出品 |
2000年~ | カトリック美術展出品(カトリック美術協会会員) カトリック北浦和教会クリスマスコンサート絵画担当 |
「手彩色銅版画で聖書の世界をテーマに描く」
私は、卒業後キリスト教に関して、主に聖書からのテーマを銅版画で制作活動をしています。
子供のころ、キリスト教の絵にあこがれてご絵を見るのが好きでした。その当時は教会に行けませんでしたので家にあった西洋美術画集の中の絵を模写して自分でご絵をつくっていました。それが今絵を描いている原点です。
父が洋画家、母が染織家でしたので、生まれたときから家庭がアトリエの現場環境にありましたが、その道に進むことを考えてはいませんでした。でも大学に入学して絵を描いてみたくなり美術クラブに入り、そこで銅版画に出会いその魅力にすっかりとりつかれてしまいました。
在学中、卒業論文を中世の詩人「フランソワ・ヴィヨンと中世の死生観」をテーマに選び、ヨーロッパ中世を味わうために、ロマネスクやゴシックの教会の彫刻やステンドグラスなどを写真で見ながら惹かれていきました。
卒業して2年後、結婚を機に洗礼の恵みを受け、銅板画制作を再開しました。当初は、パリ外国宣教会のG・グイノ神父様の書かれた本の挿絵を描かせていただいたり、グループ展に出品するのが励みでした。同時に信仰を養うために聖書講座に参加して学び、祈り、指導を受けながら少しづつ聖書の世界を描くようになっていきました。
そして2000年から2年に一度位、東京と神戸のギャラリーで個展を開く機会を得ています。
聖書の世界は、奥が深く神秘的です。いろいろな聖書講座で講義を聞くうちに聖書をより深く理解するには、聖書全体を把握することが必要だと感じました。
そこでちょうど教会で聖書全体を通読し、感想を分かち合う機会がありました。その時、私にとって特に印象深かったのが、旧約聖書に出てくるモーセを通しての神の業が現された出エジプトと荒れ野の40年間の出来事でした。神とイスラエルの民の原体験が、聖書全体を通して響いているのを感じ、それをテーマに絵を描くことで自分の信仰の歩みをたどってみようと制作しました。描きながら、新約聖書と旧約聖書の間で呼応するつながりを見出すことによってみことばに触れる深みが増すと同時に救いの歴史の奥深さに驚嘆しました。
着想から8年かかり「モーセ出エジプトと荒れ野での神の恵み」として2010年に教文館から出版されました。28枚の手彩色銅板画と聖書の引用の画集です。その中からいくつかを取り上げてご紹介してみたいと思います。
「小さいモーセ」(出エジプト記1章22-2章10)
旧約聖書の出エジプト記によると、そのころイスラエル人(ヘブライ人)はエジプトで奴隷の状態でした。そこでイスラエル人の人口が増えすぎるというので、エジプトの王ファラオが生まれたイスラエル人の男の子をナイル川へほうり込めという命令を下します。
その状況下で、ある人から生まれたばかりの男の子はあまりにかわいかったので、母親は隠しました。しかし3カ月たってもはや隠しきれなくなり、籠に入れてナイル河畔の葦の茂みの間に置きました。
そこへファラオの王女が水浴びに来た時にそれ見つけその赤ん坊を王女の子として引き取り、モーセと名をつけます。その名前は『水の中から私が引き上げた』という意味です。
絵では、モーセのお姉さんのミリアムが茂みの陰から様子を見ています。絵の中心部を流れる川の流れのギザギザの形はエジプト文字ヒエログリフでは水の流れを表します。その間に神様の導きの動きのイメージを表しました。
ヒエログリフを見ているとエジプトの日常生活にあるもの、虫や魚や草花などの形からできていることがわかります。ヒエログリフを絵の中に取り入れることでエジプトの雰囲気の表現と試みました。
「過ぎ越しの食事」(出エジプト記12章3-5・6-14)
ユダヤ教で「過ぎ越し祭」を祝うときの大切な記念の食事会であり、そのひとつひとつのシンボルに出エジプトの記念の意味が込められています。聖書によると小羊は傷のない1歳の雄で、それをほふりその血を少し取り食事する家の入口の2つの柱とかもいに塗ります。その血が塗ってある家だけは主が過ぎ越し、災いから免れます。
苦菜は、エジプトでのイスラエル人の奴隷状態の苦しさを表します。種なしパンはエジプトを出発するときに急いでいたので、パン種を入れる時間がなかったことを示しています。
彼らは、腰帯を締め、杖を手に持ち、すぐに出かける様子をしています。夜であったことも神秘的です。キリスト教の「最後の晩餐」もこの過ぎ越し祭の記念の食事から始まっています。
そこからシンボルは新たな意味となりキリスト教の大切な神秘となりました。
そのひとつひとつに主キリストの過ぎ越しの意味があります。小羊について、キリストは神の小羊と呼ばれています。過ぎ越し祭で出エジプトを記念して小羊をほふったようにすべての人の救いのために十字架の苦しみによってご自分をお捧げになりました。そしてその血は、新しい永遠の契約の血となります。また種なしパンは、パン種を古いパンから取ったものであったことから、古く腐敗のイメージがあり、ここでは、罪と死を取り除いた、新しい永遠の命のパンであるキリストの体となります。(ヨハネの福音6章参照)
「紅海を渡る」(出エジプト記14章19-22)
モーセは、神の力によって紅海の水を分け、その間をモーセと民は、渡ります。
この絵の中の人々のひとりひとりの顔の表情は、現代世界の主に中近東の人々のものから取りました。
私はこの場面を単なる昔の出来事の挿絵にはしないで、現代の人々を入れることで意味の深みを持たせたいと考えました。
そして、常日頃から、新聞や報道などで知ることのできる世界の人々のために祈ることは大切なことだと気づかせていただきました。
「マナ」(出エジプト記16章4)
モーセとその民は紅海を渡り、荒れ野の中の旅が約束の地にたどり着くまで40年間続きます。その間、神が天から降らせて下さったマナというパンで民は養われていました。
これを描くにあたって、最初、長方形の銅版を選んでいろいろ下絵を描いていたのですが、何かしっくるこなくて、ありきたりのものしか思いつかず悩んでいたところ、持っていた銅版の中に丸い形の銅版があることに気づきました。
ちょうど丸いパンの形で、その中に、朝日を受けながら天からのパンを一人一人が受け取り、それをいただく喜びとしあわせを表現しようと思いました。新約聖書で、イエスは『私がいのちのパンである』という、みことばにつながっていきます。(ヨハネの福音6章31~35参照)
「約束の地」(申命記8章7-8)
約束の地は、荒れ野と違って豊かな土地です。
申命記8章にあるように、「平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地」です。
モーセは、約束の地に入れませんでした。
絵の中でモーセは遠く向こう側から約束の地を眺めています。約束の地にあるこの豊かさの象徴は、新約聖書や教会の中のさまざまな象徴と重なり呼応して、聖書の豊かさと深さを連想させます。
例えば、新約聖書の中で、川から、「永遠の命に至る水の流れ」(ヨハネ4章14,7章37参照)を連想させぶどうの木は「私はまことのぶどうの木」(ヨハ15章1)とあります。また、麦にたとえて「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒の;ままである。だが死ねば多くの実を結ぶ」(ヨハネ12章24)などがあります。
私にとっては、モーセは遠く旧約聖書の世界から、新約の世界を眺めているように感じ、また、この絵を見る人側からは、新約聖書の世界から旧約聖書の世界を眺めるように描こうと思いました。
他に、音楽と朗読と絵によるコンサートに絵で参加したことがあります。
曲に合わせて描いた絵を、プロジェクターで映し出します。
F・リストの合唱曲「十字架の道行」やP・エベン、現代オルガン組曲「ヨブ」など曲に合わせての連作の制作は、創作の良い機会でした。
また、2011年は、子供向け週間冊子に月一度絵とメッセージを新約聖書のイエスのたとえ話を取り上げて連載する機会をいただきました。私にとってキリスト教と銅版画とフランス語は、すべて大学で学んだことが基礎となりました。フランス語は、特に聖書やそれに関する本を読むときに役に立ってます。
卒業後も、いろいろな出会いの中で励まされ、学びながら自宅でコツコツと続けました。
もう止めようと悩んだことも何度かありましたが、夫の理解と励ましを得て、またそのときは何故か不思議と仕事を頼まれたりして、徐々に絵を通して宣教のために働こうと思うようになり、今に至っております。
これからも祈りを大切にして続けていきたいと思います。