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西洋美術史講座(東京)第70回2023年10月22日(日)

「日本人が愛する魂の画家ゴッホ、劇的な人生と限りない優しさ」
19世紀オランダ絵画

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年~1890年) ポスト印象派を代表する画家。オランダ南部のズンデルトで1853年3月30日生まれる。父はオランダ改革派教会の牧師で祖父も高名な牧師であり、大蔵大臣や王室御用達の画商を親戚に持つ名門であった。寄宿学校ではフランス語ドイツ語英語を習得しており、ロンドンやパリで画商見習いとして働くが、父と同じ牧師を目指していた。その道が閉ざされて画家を志すのは26歳で、以後約10年の間に油彩約860点、水彩画約150点、素描約1030点、版画約10点スケッチ約130点、合わせて2100点以上を残している。80年ブリュッセルで画家としての修行を始める。ハーグではハーグ派の画家である従兄のアントン・マウフェの教えのもと、絵画の制作を始める。その後アントワープへ、86年にパリに出てくる、パリではオランダ時代の宗教的な主題が自然のモティーフ(太陽やひまわり)へ変化していった。太陽は神で、ひまわりは太陽を仰ぎ見る敬虔な信者を象徴するものである。パリ時代後半には日本美術の浮世絵の生命力溢れる線に心を惹かれている。さらなる光を求めてアルルに向う、そこで自分の仕事は牧師という崇行な職業に並び、人々に神の恩寵や喜びを与えることのできる仕事と感じ、85年に亡くなった父と並ぶことが可能になる確信を持った時期であった。「黄色い家」「アルルの寝室」そして花瓶にいけられた「ひまわり」、「夜のカフェテラス」「ローヌ川の星月夜」など多くの傑作を描いている。パリ時代以降、多くの自画像も描いている。しかしゴーギャンとの共同生活が悲惨な形で終わり、89年5月に精神病院へ移り37歳までの1年間ここで療養生活を送った。病室の窓から見た風景を下に多くの傑作を描いている。この時期にもドラクロア、レンブラント、ミレーに倣った作品を数多く制作した。テオの息子の誕生祝として「花咲くアーモンドの木の枝」、何れも力強い筆触で描かれている「糸杉の見える道」「星月夜」などがある。90年7月29日、ピストルで自らの胸を打ち抜いた2日後に亡くなる。僅か2か月後に亡くなる画商であった弟テオには生涯に渡り、経済的にも精神的にも助けられた。誰も価値を見い出さなかったものにも深い愛情を寄せて本質に迫ったゴッホ、彼の手紙文と共にまなびました。

 

ファン・ゴッホ、ジャガイモを食べる人々、1885年4月〜5月、カンヴァス、油彩、82×114cm、アムステルダム、国立ファン・ゴッホ美術館
ファン・ゴッホ、タンギー爺さん(ジュリアン・タンギーの肖像)、1887年、92×75cm、油彩、カンヴァス、パリ、ロダン美術館
ファン・ゴッホ、古靴、1886年、カンヴァス、油彩、アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館
左 ファン・ゴッホ、ひまわり、1888年8月、カンヴァス、油彩、91×72cm、ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク 右上中 ファン・ゴッホ、3本のひまわりと花器、1888年8月、カンヴァス、油彩、73×58cm、アメリカ、個人蔵 右上右 ファン・ゴッホ、ひまわり、1888年8月、カンヴァス、油彩、92,1×73cm、ロンドン、ナショナル・ギャラリー 右下中 ファン・ゴッホ、ひまわり、1889年1月、カンヴァス、油彩、95×73cm、アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館 右下右 ファン・ゴッホ、ひまわり、1889年1月、カンヴァス、油彩、100,5×76,5cm、安田火災東郷青児美術館
ファン・ゴッホ、夜のカフェテラス、1888年9月、カンヴァス、油彩、81×65,5cm、アムステルダム、オッテルロー、クレラー=ミュラー美術館
ファン・ゴッホ、星月夜、1889年6月、カンヴァス、油彩、73×92cm、ニューヨーク、近代美術館(MOMA)
ファン・ゴッホ、花咲くアーモンドの木の枝、1890年2月、カンヴァス、油彩、73,3×92,4cm、アムステルダム、ゴッホ美術館
ファオルセー美術館ン・ゴッホ、オーヴェールの教会、1890年6月、カンヴァス、油彩、94×74cm、パリ、
ファン・ゴッホ、烏の群れ飛ぶ麦畑、1890年、カンヴァス、油彩、50,2×103cm、アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館
ファン・ゴッホ、自画像(渦巻く青い背景の中の自画像)、1889年、油彩、カンヴァス、65×54cm、パリ、オルセー美術館

 

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