活躍する同窓生 第1回 佐藤よりこさん
佐藤よりこさん
佐藤よりこさんのプロフィール
1974年 | 神戸海星女子学院大学仏文科卒業 第6回生 学士論文『ボードレールの美術批評 les curiosites esthetiques』 渡仏、パリカトリック大学 Institut Cathorique de Paris、フランス語学および美術史講座入学 |
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1975年 | 同学同講座卒業 ルーブル美術館付属大学 Ecole du Louvre 美術史学入学 |
1978年 | 同学美術史学卒業『Ancien Eleve de l’Ecole du Louvre』取得 同学博物館学 (Museologie)入学 |
1979年 | 同学博物館学卒業、美術史学学位・博物館学取得、 イタリア・ミラノに移住、イタリアルネッサンス美術およびイタリア・デザイン研究 |
1982年 | 帰国 |
1983年~ | デザインスタジオ勤務 |
2001~3年 | 早稲田大学文学部哲学科非常勤講師 |
2004年~ | 慶応大学教養講座講師 専門 西洋ルネッサンス美術および19~20世紀美術・デザイン |
佐藤よりこさん インタビュー
ウェブ担当 この度は「活躍する同窓生」という新企画をスタートするに当たりまして、青谷会東京支部の“西洋美術史講座”で講師としてご指導をお願いしております佐藤よりこさんを是非ご紹介したくお願いいたしました。ご協力ありがとうございます。
佐藤さん 初回にお声をかけていただきまして、恐縮するとともにたいへん光栄に思っております。私のささやかな経歴をご披露するのは甚だお恥ずかしいのですが、このような珍しいキャリアをもった卒業生もいるということを、同窓生の皆さまにお知りいただければまことに幸いに存じます。
ウェブ担当 経歴を拝見しますと、海星卒業後すぐに渡仏なさったわけですね。
佐藤さん はい。私は1974年に第六回生として仏文科を卒業し、すぐに渡仏いたしました。9月の新学期からパリに居を構えることになっていたのですが、夏の間アルザスのストラスブール大学の夏期講座に入学したく、早めに渡仏いたしました。
ウェブ担当 でも、単身でその当時としては心細い想いもなさったことでしょうね。
佐藤さん その時、わざわざ私を迎えにストラスブール空港までお出かけ下さいましたのが、シスター吉村でいらつしやいました。その日から早や35年が経ち、今東京支部でシスターもご参加下さる西洋美術史講座を担当させていただいていることを考えますと、私の人生にシスターの、そして神さまの大きなご加護があったことを感じずにはいられません。
ウェブ担当 神様はシスターを通していつどんな時も私達を見守ってくださってるんですね。で、佐藤さんご自身は美術への関心はいつ頃から芽生えたとお考えですか?
佐藤さん 私の父は書家でしたので、幼い頃から芸術作品と芸術家と芸術談義に囲まれて過ごす日々を送っていましたので、そのことが大きく影響したかもしれません。
ウェブ担当 それで、いつ頃からフランス留学をお考えに?
佐藤さん 家では日本や東洋の芸術に囲まれていましたので西洋の芸術にも触れたいと思うようになりました。高校卒業時にはフランスへ留学して美術史を勉強したいと両親に願い出ましたところ、父曰く「フランス人のようにフランス語が出来るようになったら、いいよ。」というものでした。それでフランス語を勉強するために海星に入りましたが、卒業する時には、大裂姿ではなくほんとうにそうなっていました! また美術の勉強もしたかったので、3回生のときに京都市立美術大学の聴講生になり、今で言えばダブルスクールのような学生生活をしました。
ウェブ担当 それはすごい! やはり目的意識をもって勉強なさった方は違いますね。
佐藤さん これは、ひとえに先生方のお陰でした。中でもシスター・ノートルダムの『モージェ』の情熱的な授業は今でも忘れることができません。先生とシスター黒川による、基礎を徹底的に教えるというご指導がなければ、留学は難しかったことでしょう。また卒業論文に、詩入ボードレールの『美術批評』を選択したのですが、これを示唆して下さったのが故三島先生であり、ラテン語を熱心にお教え下さったのが故井上先生でした。当時は情けないことに、それらの重要性がよく分かっていなかったのですが、後に、本場の芸術学の世界でそういった学問がいかに大きな意味を持つものであるかということを身に沁みて感じることとなりました。
ウェブ担当 海星で当時私たちは一人ひとりを大切に、国際的に通用するレベルの教育をうけていたということですね。それを佐藤さんは身を持って実証なさいましたね。
佐藤さん お陰で、フランス人のように話すことは到着早々からできたのですが、さすがにフランス語で論文を書くことは難しいことでした。そこで、パリカトリック大学(Institut Cathorique de Paris)フランス語学および美術史講座を専攻し、ルーブル美術館付属大学(Ecole du Louvre)入学に備えました。そして、2年目に入学、その3年後に無事に美術史学の卒業資格『Ancien Eleve de l’Ecole du Louvre』を取得することができました。入学時には700名であった同級生が、卒業時には40名となり、外国人は今も親友として付き合っているドイツ人の友人と私の二人だけになっていました。
ウェブ担当 入学時700名で卒業したのが40名、そして外国人は二人だけとは・・・・。とても言葉では言い尽くせぬ努力をなさったと思います。海星で共に学んだ同窓生として佐藤さんを心から誇りに思いますし、敬服いたします。シスターや先生方もどんなにか喜ばれたことでしょうね。それで、卒業後はどうなさいました?
佐藤さん 卒業時の試験において、高得点の平均を取得した者には、ルーブル美術館研究所で研修を受けながら博物館学を学ぶという特権が与えられていましたので、その後は学生兼研究者として忙しい日々を送ることになりました。
ウェブ担当 共に励まし学ばれたご学友の存在も大きかったのでは?
佐藤さん そうですね。望郷の念を抱えた冬のパリは陰鬱で淋しく、時には涙することもありましたが、多くの良き友人たちに恵まれ、楽しい留学生活を送ることができたことはとても幸せなことであったと思っております。同級生たちは現在、オルセーやルーブル美術館などの学芸員または講師として、また多くの美術書の著者として活躍しています。
ウェブ担当 そのご学友も佐藤さんにとり宝ですね。博物館学終了後はどうなさいました?
佐藤さん イタリアのミラノに赴きました。13世紀以降のイタリア・ルネッサンス美術を研究したかったからなのですが、その地では、イタリアン・デザインにも触れることができ、新たな段階に進むことができました。
ウェブ担当 その“新たな段階”をもう少し具体的に言いますと?
佐藤さん それは、古代から現代まで脈々と受け継がれている地中海文化の奥深さを体感し、西洋美術史のどの時代、また哲学や建築や彫刻や絵画やデザイン等のどの分野をも自分の視野に入れることができるようになったということでした。イタリアで過ごした日々もまた、とても貴重なものであったと思います。
ウェブ担当 フランスから更にイタリアへと様々な分野で益々造詣を深められ、佐藤さんの探求は止まるところを知らずですね。1982年に帰国なさってから現在までのことを少しお話いただけますか?
佐藤さん 帰国後は、現在もですが、美術史とデザインの両方の分野で仕事をしています。美術史においては、2001年から3年までは早稲田大学文学部哲学科非常勤講師として、2004年からは慶應大学教養講座講師として、また他の場所においても年間のいくつかの定期講義を持たせていただいております。デザインの分野においては、デザインワークのためのコンセプト・ノートの制作を担当しています。デザインの分野は創作の現場ですので、これはまた美術史とは異なるたいへん面白い世界です。そして、創造の現場に日々触れることが、美術史という学問を机上の空論に終わらせない思索に導いてくれていることを有り難く思っています。
ウェブ担当 最後になりましたが、母校海星への想いと、今後の抱負をお聞かせいただけますでしょうか?
佐藤さん 振り返れば、海星においては多くの先生方から薫陶を受け、生涯続けることのできる本物の学問を学ぶための大切な基礎を授けていただきました。今の自分があることに、心から感謝の意を申し述べたいと思います。芸術が奥深いものであると同様、芸術学もまた探求に終わりがありません。「人間とは何か」という普遍にして永遠の問い掛けをもって、これからも多くの人々に芸術の素晴らしさをお伝えできるような仕事をしてゆければと思っております。
ウェブ担当 貴重なお話をありがとうございました。佐藤さんのお優しいお人柄から受ける印象のせいでしょうか、淡々と語られるご様子から、どこにそれ程の工ネルギーが?と思いますが、大変なご努力があってこそ現在の佐藤さんがあるのですね。私達も大いに学ばせていただきました。今後共、益々ご活躍なさいますことをお祈りしております。そして、“西洋美術史講座”も末永く宜しくお願いいたします。どうもありがとうございました。