現在特に興味を持ち、研究対象としているのが、関西を舞台とした物語です。授業でも、地元文化を中心据えて考察しながら、物語を紹介しています。
ここでは、神戸、特に王子動物園がある王子・青谷地域のお話をしたいと思います。この地域には昭和の始めまで関西学院大学があり、その跡地も日本貿易産業博覧会や国民体育大会の会場になって人々の注目を集めてきました。海と山との両方が見渡せるこの場所は、急な坂道の途中にあります。そしてそのような地形を待つ場所の特徴通り、雨上がりには素晴らしく美しい虹がかかることでも有名です。ミステリー作家の横溝正史は、『虹のある風景』(「近代生活」1929年)で、登場人物に次のように語らせました。「摩耶山のてっぺんから神戸港へかけて、大きな虹がかかっていたの、そりゃ美しい虹だったわ」。
(写真は、神戸海星女子学院大学の屋上より筆者撮影)
実際に虹は、大きな半円のアーチを描いて山から海へとかかります。 その虹を南側に見降ろしてみると、海岸線上には埋め立て地である人工島や空港、造船所の最新設備が目に入ります。そして反対に北側を見上げてみると、六甲山脈が迫り、その昔、弘法大師が唐から持ち帰った摩耶夫人尊像を祀ったといわれる摩耶山がひときわ身近に感じられます。海と山。モダンとレトロ。人工と自然。二つの相反する世界が同居するこの地の魅力を見出した作家たちは、王子・青谷をしばしば重要な物語舞台として注目してきました。
摩耶夫人信仰の篤かった泉鏡花は、摩耶山の夫人像を愛しました。摩耶夫人像といえば、釈迦が右脇から生まれ出る意匠をとるものが一般的ですが、摩耶山の夫人像は懐に釈迦が抱かれる形となっています。泉鏡花は自身が手元に置くために作らせた摩耶夫人像を摩耶山のものと同じ形にしました。『龍潭譚』(「文芸倶楽部」1896年)で、異界に心をさまよわせる少年を救う役割を果たした摩耶夫人像も、この懐子形で描かれました。
谷崎潤一郎が『細雪』(「中央公論」1943年1月・3月、「婦人公論」1947年3月~1948年10月)を書いたとき、青谷の町は主人公である四人姉妹の三女、雪子の見合い相手の住む場所として選ばれました。見合い相手の野村は、雪子たちを自宅に誘い、こう言います。「座敷に坐りながら港が一と目に見えるところが自慢なんです」。しかし、この見合いはうまくまとまりませんでした。
この地域を舞台にした物語には、一つの法則があります。それは、海と山とを同時に見渡せるこの地で、山を見上げたときには物語が良い展開を、海を見下ろしたときには物語が悪い展開を迎えるという法則です。救われた少年の話も、見合いが破局した女性の話もこの例に漏れません。
村上春樹の『ノルウェイの森』(講談社、1987年9月)でも、海と山とは象徴的です。主人公である「僕」の親友のキズキは、自殺当日、坂を下った港のビリヤード屋に僕を誘っていました。キズキの恋人であった直子は、キズキの死後、心の病を深めていきますが、歩くという行為だけは達者で「僕」を驚かせます。彼女はその健脚を、小さい頃から神戸の山に登っていたからだと話します。さらに村上春樹は、『五月の海岸線』(「トレフル」1981年4月)で、埋め立てられる海に鋭い警告を発します。「山を崩し、海を埋め、井戸を埋め、死者の魂の上に君たちが打ち建てたものはいったい何だ?」。青谷に近い神戸高校で青春時代を送った村上春樹にとって、故郷の山と海との関係は、生と死とを象徴するものであったようです。
王子・青谷周辺を物語の舞台に選んだ作家たちはまだたくさんいます。大岡昇平、稲垣足穂、今東光、田辺聖子 宮本輝、玉岡かおる……。彼らは、二つの相反する価値観を、虹が山と海とをつなぐように、一つの物語につなぎ留めました。関西文化が育んだこれらの文学を、少しずつ紹介できればと願い、日々授業を行っています。