学長メッセージ

2024年度 卒業式 学長式辞

皆様、ご卒業おめでとうございます。神戸海星女子学院大学の教職員を代表し、心からお祝いを申し上げます。卒業生の皆様を励まし支えてこられたご家族の皆様には、この日を心待ちにしておられたことと存じます。お慶び申し上げますと共に、様々な場面でのご協力・ご理解とご支援に心から感謝申し上げます。

皆様を新入生として本学にお迎えした2021年の春は、世界中がまだコロナ禍の混乱の中にあった時で、入学式やオリエンテーションは実施できたものの、授業を開始してすぐの4月半ばからは、緊急事態宣言発出により丸2か月間オンラインでの授業となりました。その間は、同級生や私たち教職員と直接顔を合わせることもできず、毎日何通もメール通知があったり、気軽に質問できる状況ではないなど、入学したばかりの皆さんの不安は如何ばかりだっただろうかと思います。6月下旬に対面授業に移行してからも、行事は縮小、クラブ活動は自粛という期間が続きました。今、表面上は以前の生活を取り戻していますが、長いコロナ禍を経て、言葉にならない漠然とした不安感は、まだ多かれ少なかれ皆さんの中にあるのではないでしょうか。それでもこうして学位を取得して卒業の日を迎えられた皆さんに、敬意を表したいと思います。

皆さんはそれぞれ新しい世界への門出を前にしておられるのですが、今私たちが生きているのは、変化の激しい、予測不能な、そして複雑な問題を抱える社会です。大学を卒業して社会に出ていくことが既に楽しみだという方もおられるでしょうし、自分に何ができるだろうか、自分が社会の役に立つことができるだろうか、と不安を抱えている方もおられるかもしれません。 

初めての世界への船路に着く皆さんにお伝えしたいことが三つあります。 一つ目は、皆様お一人おひとりが、そして皆様の日々の努力が大切な「海の雫」だということです。「海の雫」はラテン語で「Stilla Maris」と言います。大学のラテン語名だな、でもそれは「海の星」という意味のはず、と思った方は半分正解です。その意味をこれから説明いたします。

「海星」のラテン語名は「Stella Maris」です。そしてそれは本学院の保護者である聖母マリアの愛称とされます。マリアという名前は、旧約聖書において、エジプトを脱出したイスラエルの民を導いた人、として登場する人物の一人、ミリアムが元になります。4世紀から5世紀にかけて生きた聖職者であり神学者であるヒエロニムスが、このミリアムという名前の意味を「海の雫」と解釈したという説があるのです。 

その後、口語でマリアのことが言い伝えられていく内に、「雫」を意味するラテン語の「Stilla」が、発音が似ており「星」を意味する「Stella」に変化し、「Stella Maris (海の星)」としてカトリック教会に定着していきました。大海原を航海する船乗り―言い換えると、人生の荒波を生きる人々―を導く星、という象徴的な名前がマリアの愛称となった訳です。

さて、日々行う努力が「海の雫」だという話に戻ります。皆様ご存じのマザー・テレサの祈りの中に、「海の一雫」の一節があります。

マザー・テレサは、教員をしていた時の出逢いがきっかけで、インドのコルカタで、貧しく身寄りのない人々に寄り添う活動をするようになりました。そんな彼女に対して、「困った人は山ほどいるのに、そんなことをして一体何の意味があるのか」と疑問を投げかける人が少なからずいました。でもそのような声に対し、マザー・テレサは次のように言いました。

「私たちの為すことは、確かに大きな海のほんの一雫にすぎません。しかし、私たちのその行動がなければ、海はその一滴分少なくなってしまうのです。」

社会全体の営みを「海」に例え、一人の人間を、また一人の人間の小さな行いを、大きな水の塊の中の「一雫」に例えています。つまり、一人ひとりの存在や働きはとても小さなものですが、かけがえのない大切なものである、ということです。皆様お一人おひとりの日々の努力は、社会の中の大切な一雫になるのです。

お伝えしたいことの二つ目は、当たり前のことではありますが、自分がすべきことに向き合い、一生懸命に取り組んでいただきたいということです。新約聖書のマタイ福音書の中に次のようなことばが書かれています。

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ福音書第6章34節)

自分に与えられた課題が自分にはとてつもなく大きすぎると感じるようなとき、また、自分のしていることが無意味に思えたり、先々のことが不安になったりしたときには、その時に目の前にある、自分がしなければならないことに全力を尽くしてください。今しなければならないことに全力を尽くすこと、それが「その日の苦労」であり、それで十分だと言うのです。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」。どんなに小さな事柄でも、自分自身の「やろう」という決意や計画を一つずつ実践することで、確実に「できた」が積み重なっていきます。そのようにして、今、しなければならない目の前のことを一生懸命にしていたら、道はおのずと開かれていくと信じて進みましょう。 

お伝えしたいことの三つ目は、「カタツムリの速さでいい」ということです。私が好きな合唱曲に「しあわせよカタツムリにのって」という歌があります。「手のひらを太陽に」の作詩家としても知られ、「アンパンマン」の生みの親として有名な やなせたかしさんによる作詩の歌です。一番の歌詞の一部をご紹介します。

 しあわせよ
 あんまり早くくるな
 しあわせよ
 あわてるな
 カタツムリにのって
 あくびしながら
 やってこい

アンパンマンが絵本として世に出たのはやなせたかしさんが50歳の頃、今のような売れっ子になったのは70の頃でした。こんなことをしていていいのか、と思う時もあったそうですが、子どものために絵やお話しを描くという夢が捨てられず、最後まで描き続けました。「なんのために生まれて なにをして生きるのか」を問い続けながら、「今を生きる ことで 熱い こころ 燃える」と「アンパンマン・マーチ」で歌われるように、その時その時を大切にしながらゆっくりと走ればいい、と言います。

「しあわせよカタツムリにのって」というタイトルを聞いて、インドのガンジーの「善きことはカタツムリの速さで動く」という言葉を思い出された方もおられるでしょうか。マハトマ・ガンジーは、徹底した非暴力により、インドの イギリスからの独立運動を指導したことで、インド独立の父として知られています。

彼の活動の中に、「塩の行進」として知られるものがあります。当時イギリス人が専売特許を持っていた塩を自分たちで作れるように、と400km弱の道を約1か月かけて歩いた抗議運動のことで、イギリスからの独立運動における重要な転換点となったとされます。為すべきだと信じることの実現のために、諦めずに歩き続けたガンジーは、それらの活動を「善きことはカタツムリの速さで動く」という言葉で残しています。

新しいことに取り組むとき、真のおもしろ味や深みは、その入口では見出しにくいものですし、それを深めようとしたり、何かを成し遂げようとすると、多くの場合、その過程で壁を経験します。でも、その先に希望や喜びがあることは、コロナ禍を経験した皆さんは知っておられます。

一日ずつ、一滴ずつ、「カタツムリの速さ」で構いません。改めて自分を知り、自分が大切にしたいもの・大切にしたい考えや生き方はどのようなものかを、今後の人生で時間をかけて追求し、生涯成長を続けていかれますように。皆様お一人おひとりが、海星で身に付けたことを、社会に出て、誰かほかの人のために、人を支えるために使ってほしいと願っています。それが、先ほどの聖書朗読(ヨハネ福音書第15章)にあった、私たちに与えられた「掟」すなわち、「互いに愛し合う」ことにも繋がるのではないかと思います。

進む方向性が分からなくなった時には、本学のスローガンである「人を支え、輝く。」ことを目標とし、一人の大人として大切に育て続けて欲しいこととしてまとめたKAISEIパーソナリティを思い出していただけると嬉しいです。

数年後に海星の大学は閉学する選択をいたしましたが、皆様が海星の卒業生であることは残ります。私たちは、ずっと皆様の幸せをお祈りしています。海星で学んだことを誇りとし、それぞれの置かれた場所で「海」をより豊かなものにするための「雫」として、時に周りの人たちを導く「星」として務め、それぞれの色で輝かれることを、そして皆さんよりも前に社会に出ていかれたたくさんの「Stella Maris」の雫と海で繋がり、その輪が広がっていきますようにお祈りし、私の式辞とさせていただきます。

 2025年3月15日

神戸海星女子学院大学
学長 石原 敬子