【教員コラムvol.6】 「体を動かして心に響かせる、ということ」 (英語観光学科 宮副紀子 教授)

 もう半世紀以上も前のこと、「宇宙家族」というアメリカのTV番組を観ながら、次々と登場する機械(スイッチひとつで好きな料理が提供されるマシンや空飛ぶ車など)にいつも心躍らせていた。当時の子どもには、夢のまた夢の世界!だったことが、わずか半世紀間でほぼ全てが実現し、科学技術は「物」の進歩を通り越して「目に見えないもの=ネット技術」、さらには生成AIにまで進化してしまった。

 生成AIは人々への影響を綿密に精査されることなく、さりげなく私たちの生活に侵入してきている。昨年7月、文科省は条件付き(限定的利用として)で生成AIを初中等教育への導入を可とした。しかし、言語脳科学者の酒井邦嘉氏[1]によると、生成AIの「生成」はただの「合成」であり、整合性へのチェック機能はなく、それによる「対話」は「対話風」にすぎず、「創造」することはなく、範疇に属さないものを退けることのない「何でもあり」であるとしており、

1. 考える前に頼ることで思考力と想像力が低下する。
2. 都合のよい選択により、自己肯定感が増幅 (生成AIは使用者を否定しない)
3. 書き手と読み手の間の人間信頼関係の喪失 (学生が本当に書いたかどうか?)

上記の要因により、生成AIはもちろん、タブレットの利用(コロナ禍では有用であったとしても)も教育現場に好ましくないとしている。そもそも脳科学や言語学分野において、人間の能力の一部を機械化することによる影響についての研究は行われておらず、それが未知のままで極端な機械化は危険であるとしている。生成AIは、私たちが思い描くネコ型ロボット、ドラえもんのように、人間の心を持ち、のび太くんに意見を言うことはできないのだと。  しかし、あらゆる科学技術がそうであるように、走り出したものは後退しない。もう後戻りできないのだ。昭和半ばから令和を生きてきた筆者は環境への適応力に乏しいため、ワープロが姿を消し、スマホに携帯が取って代わられるといった大事件が起こるたびに、ひたすら必死にブレーキを踏み続けてきたが、もちろん無駄な抵抗だった。今後、よりよく教育において生成AIと共存する術はあるのだろうか。 

 前出の酒井氏が「教育は効率ではない」[2]とされているように、教育は科学技術の変化に影響されることなく、教育としての確たる立場を維持するべきだ。教育は問題解決への「結果」を求めるのためのものではなく、結果にたどりつく「プロセス」を学び、たとえその「プロセス」が不正解や遠回りであろうと、自分で考えることに意味がある。次に、自分で考えたことを相手に伝え、相手の意見を尊重することが学びに繋がる。その理想に欠かせないのは、酒井氏は「対人間であるべき」[3]であるとしている。さらに、数理論理学者の新井紀子氏によると、

  私は、幼児のころは「サル」として育てるのが正しいと思っています。自分で暑さ寒さを感じるとか、こうすると転ぶんだなとか、昆虫が動く様子をずっと見て「動く」ということの統一的な原理を認識するとか。(中略)その時期が十分にないと、その後の発達が難しくなるように人間はできているのではないでしょうか[4]

とされているように、頭でっかちになるのではなく、実際に体を動かして体全体で感じて、心を動かし、五感を働かせることが重要であるということだ。講義を聴いてノートに書く、分からなければまず考える、とにかく歩いて道がどこまでも繋がっていることを体感する、転んで切り傷の痛みを覚えて、他の人が怪我をした時の辛さを思いやる、といった様々な体と心の経験があれば、AIの侵入を和らげてくれるのではないだろうか。  ついでに、昭和人間の戯言として聞いてもらえるなら、学級新聞作成のためにガリ版に鉄筆で文字を刻んだ時の全身の感覚や捨てようとした花束の入ったビニール袋の内側に数多の水滴を見た時に感じた命のかけがえのなさはいまだに鮮明に蘇ってくる。だからと言って筆者は賢くはならなかったけれど、体で感じて心を動かす経験はできるだけ多い方が良い、きっと。


[1] 酒井邦嘉(2023).「生成AI」(2) 日本記者クラブ

 https://www.youtube.com/watch?v=wz1-DOZoQt0 (閲覧日: 2023年11月1日).

[2] 柳田邦夫・酒井邦嘉(2023). 「生成AI特別退団・完全版…教育での活用は『リスク高い』」全国高等学校ビブリオバトル、全国中学校ビブリオバトル公式サイト-21世紀活字文化プロジェクトー

  https://katsuji.yomiuri.co.jp/project (閲覧日: 2023年11月2日).

[3] 同上

[4] 新井紀子(2023). 「チャットGPT 子どもに使わせるべき?」朝日新聞5月29日朝刊 大阪本社版.