【教員コラムvol.10】 「名作から始まる探求:シェイクスピア『リチャード3世』」 (英語観光学科 吉野美智子 講師)

Now is the winter of our discontent
Made glorious summer by this sun of York
(Act 1, Scene 1)
「われらをおおっていた不満の冬もようやく去り、 ヨーク家の太陽エドワードによって栄光の夏がきた。 」1というグロスター公(後のリチャード3世)の独白から、ウィリアム・シェイクスピア作『リチャード3世』が始まる。このセリフはアメリカ人作家スタインベックが最後の小説タイトル(The Winter of Our Discontent)に選び、イギリスで広範囲のストライキがあった1978年から79年の冬を新聞編集者が “Winter of Discontent”と名づけるなど、印象的な響きを持つ。

強烈な印象を与えるのは言葉のみではなく、リチャード3世の人物造形もまたそうである。実際に演じられる時、リチャードは生まれつきの脊柱の障害でひどい猫背で歪な歩き方をする人物として登場する2。脚注の動画をご覧になれば、いかにも悪者といった姿で現れ、観客の彼へのイメージは冒頭で決まってしまうだろう。しかし、なんといっても彼を並外れた存在にしているのはその言葉の力だ。リチャードは言葉巧みに人々に取り入り、兄たち、そしてまだ少年でしかない甥を含めて何人もの命を奪い、王位を手に入れる。彼の言葉の巧みさは夫、弟、幼い息子たちをリチャードに殺され、憎しみに燃える前王妃エリザベスを口説き落とし、自分の娘エリザベスにリチャードとの婚姻をすすめる気にさせるほどである。

このとんでもない怪物を倒すのはヘンリー7世としてチューダー朝初代となるリッチモンドだが、実際に登場するのは最終の第五幕のみである。リチャードとの対峙は第五場冒頭のみ、戦場で言葉を互いに発することもなく、あっさりと彼はリチャードを殺す。彼は国王リチャードを簒奪者と切り捨て、「ヨーク、ランカスター両家…の王家の真の継承者リッチモンド、エリザベス両名の手によって、 一つに結び合わせることこそ神の思し」(第五幕第五場)と高らかに宣言するものの、リチャードの言葉の強烈な影響力と比べるとその存在感と正当性ばかりを語るその言葉は物足りなく感じる。

今も上演、翻案され続けるこの作品は現実のリチャード3世への関心を生み出している。毎日新聞の5月4日付の記事はリチャード3世の実像について現在も論争が続いていることを取り上げ3、悪役としてのイメージを決定づけたのはシェイクスピアの戯曲であること、そして近年リチャード3世についての歴史見直しの動きが続いていることが述べられている。日本では『リチャード3世』で母ヨーク公爵夫人がリチャードに向ける憎しみを踏襲し、リチャードを苦悩し続ける両性具有の人物として描いたコミック『薔薇王の葬列』(菅野文, 秋田書店)が2013-22年に連載され、アニメ化もされた。リチャード3世、ヘンリー7世の二人の王の肖像画を見比べると、果たしてシェイクスピアの戯曲は「真実」なのだろうか、本当はどうなのか知りたい、という気持ちになるだろう4

没後500年以上経てもなお、在位わずか2年の王が注目され続ける要因は、シェイクスピアが生み出した怪物リチャードであることは間違いないだろう。『リチャード3世』に触れたことがない方も、読んだあるいは観た方も、この機会に『リチャード3世』を読み、シェイクスピアが創り上げたリチャード3世を経験し、そして同時に現実のリチャード3世にも思いを馳せてみてほしい。

  1. シェイクスピア, ウィリアム, 小田島雄志訳『リチャード三世』, 白水社, 2013年。以降の引用はこちらから。 ↩︎
  2. ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが2012年に上演した同作品の宣伝動画で戯曲冒頭場面を取り上げており、そこで顕著に表現されている。(https://www.youtube.com/watch?v=K9wzWYtYGBI) ↩︎
  3. 篠田航一, 「作られた「悪役」リチャード3世 王子を殺害したのは 続く推理合戦」, 『毎日新聞』2024年5月4日(https://mainichi.jp/articles/20240504/k00/00m/030/064000c), 2024年5月4日閲覧。 ↩︎
  4. リチャード3世の肖像画はロンドン考古協会のもの(https://www.sal.org.uk/collections/explore-our-collections/collections-highlights/richard-iii-arched-1452-1485/)、ヘンリー7世はナショナル・ポートレート・ギャラリーのもの(https://www.npg.org.uk/collections/search/portrait/mw03078/King-Henry-VII)が有名。 ↩︎