先日、合唱の世界の第一人者として兵庫県下の合唱団体でご指導していらっしゃるN先生から突然SNSで連絡をいただいた。お名前はもちろん存じ上げていたが、面識はなかった。その先生のお申し出は、コロナですっかり低調になった大学のコーラス部を、連携することによって盛り立て、再興したいということであった。そしてさらに、本学が募集停止をしたことに対してコーラス部、強いては大学への応援の意味合いも含まれていた。話はトントン拍子に進み、甲南大学文化会グリークラブ、神戸大学グリークラブ、神戸親和大学コーラス部、神戸学院大学混声合唱団パンドラそして本学の神戸海星女子学院大学Chorus Stella Marisのメンバーが集まり、1回目の会合を開いた。聞けば、どの大学も部員は2名~5名で、合唱をすること自体が難しい状況であるらしい。思えば、パンデミックの期間中は、歌うこと、楽器を吹くことはもちろん、すべての人の音楽の場が失なわれてしまったため、大学のコーラス部の人数が激減してしまったことはやむを得ない。
ところで、私が大学で受け持っている授業に「初等音楽科指導法」がある。将来小学校教諭を目指す学生の免許取得のための必修授業である。その第1回目の授業で、必ず学生に問うことがある。「なぜ学校で音楽の勉強をするのか、音楽にはどんな力があるのか」。音楽には、気持ちを奮い立たせる力がある。時には、心を平穏に導いてもくれる。また、音楽を通じて、心を一つにすることができる。相手の様子をうかがい、合わすことを学ぶことができる。あるいは、音楽を通じて、思い出を作ることができる。音楽はある曲を聞くと、曲と同時にその時に返ることができる不思議な力を持っている。さまざまな意見が出てくるが、この音楽の力を考えるとき、多くの学生が中学校時代の合唱コンクール、あるいは小学校時代の音楽会のことを思い浮かべながら答えを探していることがわかる。つまり、学生にとって音楽とは合唱であり、合唱は誰もが体験している音楽の基柱なのである。1955年に、現在のNHK全国学校音楽コンクールで、参加校数の最高最大記録の4,706校の参加があったということからわかるように、教育現場では当たり前のように合唱という音楽活動が繰り広げられてきたのでる。
今、教育は「個」を生かす時代である。表現活動も然りである。もちろん表現活動の一つである合唱の基本は「合わす」ことであるが、単にそろえることに重点を置くのではなく、個性を持ちつつ合わすことが求められている。実際には、決して簡単なことではない。が、今回の大学合同演奏会の機会が、それぞれの大学の特性、つまり個の特性を感じさせつつ共に合わせるという新しい合唱の形態で発表になると考える。つまり今回の思いがけない合同演奏会は、パンデミックを経た合唱の復興という以上の大きな意味があると期待を寄せている。そしてN先生が昭和50年代に本学のコーラス部(当時のグリークラブ)とコラボをしたという過去との線上に、閉学の向こうにある将来へとつながる展望があるかもと密かに胸を膨らませている。