【教員コラムvol.11】 「記憶の不思議な働き」(心理こども学科 中園佐恵子 助教)

先日、本学で「記憶の不思議」というテーマで公開講座を担当した。いくつかの単語を覚えて思い出してもらうという簡単な記憶の実験の体験から始まり、記憶の基礎的な仕組みと記憶の持つ不思議な性質についてお話しした。参加してくださった方は皆、人の記憶の仕組みにとても興味を持っておられた。

特に日常記憶と記憶の再構成について興味深いと言っていただくことが多かった。日常記憶とは日常生活で使用する記憶である。例えば、紙幣や貨幣のように毎日、使用するものの記憶である。紙幣や硬貨は頻繁に目にするが、細かいデザインを思い出そうとするとなかなか正確には思い出せない。千円札に野口英世の肖像画が描かれていることは思い出せても、その裏に何が描かれているのかまでは思い出せないこともある。千円札はかなり頻繁に目にするのに、詳細を思い出せないのは不思議である。普段、使用する千円札のデザインは細部まで覚えているのではなく、他の紙幣と区別する情報だけを覚えていると思われる。

このような日常記憶は再構成されやすいと言われている。例えば、紙幣や硬貨は桜などの花や歴史上の偉人、有名な日本の建造物が描かれているなどお互いにデザインが似ている。そのため、貨幣や紙幣にどのようなデザインがあるのかという知識に基づいて記憶が再構成されると、ありそうでない貨幣や紙幣の記憶を誤って思い出すことがある。もともと持っている知識に影響を受けて思い出す記憶の細部が変化してしまうのである。

また、記憶の再構成では実際に起こった出来事ではないのに、実際に起きた出来事だと誤って思い出すこともある。この実際に起こっていない出来事の記憶を虚記憶という。

記憶違いや果てには虚記憶を頭の中でつくり出してしまうというのは厄介に思える。しかし、これは人間がテープレコーダーやパソコンのような機械のように、起こった出来事をそのまま記憶するのではなく、記憶に対して知識などから意味を考えているということでもある。これはとても人間らしい記憶の働きである。過去に起こった出来事にどのような意味があったかを考えることで、たとえ失敗したことのようなネガティブな出来事でも、その失敗で成長できたというふうにポジティブに意味を捉え直すこともできるのである。

このように記憶に意味づけをする心の働きを自伝的推論という。自伝的推論によって記憶の意味を考えることで、過去に起きた出来事について様々な捉え方をすることができる。人は受け身的に出来事を記憶しているのではなく、積極的にその意味を考えることができる存在といえる。